Vol.5 夜明茶屋 金子英典さん

prologue

左/酒蔵に行くとよく見かける「杉玉」は杉の葉の穂先を集めてつくったもので、新酒が完成すると、緑色の杉玉と交換する

上/蒸しあがった米が35〜40℃の温度まで下がったら麹室(こうじむろ)で種麹を振り、米の芯まで麹菌が育つのを待つ

酒づくりの技術を多くの社員たちに継承し、職人として磨き上げていくために昨年杜氏の制度を廃止した。昔から受け継がれてきたことを大切にしながらも後世へと伝承していくために、 働き方改革を通してイノベーションをし続けている

上/酒蔵に行くとよく見かける「杉玉」は杉の葉の穂先を集めてつくったもので、新酒が完成すると、緑色の杉玉と交換する

上/蒸しあがった米が35〜40℃の温度まで下がったら麹室(こうじむろ)で種麹を振り、米の芯まで麹菌が育つのを待つ

酒づくりの技術を多くの社員たちに継承し、職人として磨き上げていくために昨年杜氏の制度を廃止した。昔から受け継がれてきたことを大切にしながらも後世へと伝承していくために、 働き方改革を通してイノベーションをし続けている

福岡の飲食店でよく見かける日本酒『繁桝』は、高橋商店の商品だ。高橋商店のホームページには、繁桝だけで26本の種類が掲載されている。「こんなに種類が多いと、どの繁桝を選んだらいいのかわからなくなります」と素直な感想を19代目蔵元の中川 拓也さんに伝えると「載せてないだけで、実は120種類ほどあるんですよ」と予想外な言葉が返ってきて、その場にいたみんなと顔を合わせて笑った。

高橋商店は、享保2年(1717年)に造り酒屋として産声を上げた。看板商品である繁桝が誕生したのは移転をした大正15年で、現在もその時に建てられた趣のある蔵で酒づくりを営んでいる。「こんな日本酒があったらいいな」という酒販店からのリクエストに応えていくとともに、繁桝の種類も少しずつ増えていった。
「銘柄の種類をある程度絞った方が経営としては効率的だとわかっているのですが、数種類減らしたところでなにも変わらない。かと言って、半分に減らすことも難しくて。だったら、少量多種のお酒をつくっても利益を出せる蔵を目指そう!と社内で目標を掲げています」と中川さん。
なんて、人間味のある話なのだろう。1つひとつの関係性を大事にしていることが言葉の端々から伝わってきて、心があたたかくなった。取材前からオンラインショップがないことを不思議に思っていたのだが、その理由も「酒販店と共存共栄したいから」だそうだ。

中川さんは「今日まで高橋商店が存続できているのは、地元の酒販店さんたちが私たちの商品をずっと売ってくれているからなんです。オンラインショップを開設すると、会社としては利益をまるまる取れるけど、本来入るかもしれなかった酒販店さんには利益が入らなくなってしまう。酒販店さんがどんどん減り通販が当たり前になっている時代ですが、私たちは酒販店さんたちありきで、これからも酒づくりに向き合っていきたい。そういう気持ちで取り組んでいるので、蔵開きはしていないし、蔵での卸販売も積極的には行なっていないんです」。

和醸良酒(わじょうりょうしゅ)という言葉がある。酒蔵に協力してくれる米農家、販売してくれる酒販店。それぞれの作業過程と作業ストーリーに理解を深め、思いやることで絆が生まれ、和が広がっていく。それぞれの想いと立場を大切に尊重したいから、消費者である一般の人は酒販店に出かけて、酒屋さんと直接話をしてほしい。インターネットやSNSを活用した商品案内は酒販店に任せることで、自分たちは酒づくり一本に専念できる。「私たちの会社は、世の中と逆の動きをしているんですよね」と話すその表情は穏やかだったが、目には揺らぎない信念が現れていた。

蔵の中に入ると、そこは清々しい空気が流れていた。穏やかなのに凛として、空気が澄んでいる。酒づくりに対する清らかな想いが、場の空気をつくっているのかもしれない。
「今年は、若手を中心とした15名の社員でお酒をつくっているんです」と中川さんは言った。技術を覚えて継承してもらうため、今年から新しいチーム編成で酒づくりを始めたそうだ。しかし、偶然、新型コロナウイルスの時期と重なった。仮に、蔵にいる社員の誰かがコロナに感染したら、チームをベテラン勢に戻すことができる。「世界中がこんな状況になるなんて夢にも思いませんでしたが、働き方改革が結果としてコロナ対策にもつながったとホッとしています」と胸をなでおろしていた。

中川さんが社長になった2年後、今から3年前のことだが、高橋商店は麹室(こうじむろ)を新たに4部屋つくった。麹室とは、日本酒に欠かせない麹づくり専用の部屋のこと。新しい室は、外扉も室内もすべて杉の木でつくられている。木の色がまだ明るく、蔵の中でもひと際目立っていて佇まいも美しい。しかし、蒸した米を入れる部屋なので、湿気によるメンテナンスが大変そうだ。クリーンルームのようにアルミやステンレスでつくれば、消毒・殺菌や掃除もしやすく、メンテナンスも簡単。だが、ここにも中川さんの意図が隠れている。

「職人としての高い技術ってなんだろうと考えた時、技術は感性が揃って初めて成立するものだと考えているんです。道具と一緒で、部屋も自分たちの手で丁寧にメンテナンスをするからこそ、つくり手は、特に若い社員たちは感性が磨かれていくのではないかと思って、あえてこの環境を選んだんです。同業他社の方に話すと『今時、麹室を木でつくるなんてどこもやってないよ』と言われることもあるんですけどね」。

ーー「私たちがやっていることは、時代と逆行しているんですよね」、と言った中川さんの言葉が頭に浮かんだ。

近年、機械の導入により蔵による日本酒の味やクオリティーに差がなくなってきた。ものづくりにおいて“再現性”が度々謳われるが、日本酒づくりにおいてはどうだろう。機械の力を借りることで、理想とする味が均一的にできると考える蔵も少なくないという。

中川さんは「機械を導入することで、杜氏は手づくりに近い麹づくりができるようになるけれど、杜氏の下で働く蔵人たちは機械でつくる酒づくりしか学べないと思うんです」と吐露した。

当たり前の話だが、米の出来は天候などよって毎年左右され、80点の年もあれば120点の年もある。中川さんにとって味の再現性とは、どんな出来栄えの米であっても、きちんとした技術を持って良い日本酒をつくろうという意味に捉えていると語ってくれた。そんな良いお酒をつくるには、良い技術を持った職人が必要。日本酒づくりの技術を後世に残していくには、職人の心を育てていかないといけない。人をどう育てていくか、そこに力を入れているというわけだ。

「同じ作業を何度も何度も連続して繰り返し、地道に続けることで小さな変化に気づけるようになると思うんです。毎日斗瓶(とびん)を洗っていると、ちょっとした匂いの変化に気づくことがあります。現役時代のイチローが、あえて毎朝カレーを食べていたのと一緒。ちょっとした変化に気づけるようになるかどうか。それが大事なんです」。

この話は、麹づくりにもつながっている。遺伝子情報の解明によって麹の仕組みが明らかになってきたものの、つまびらかになっていない部分も多い。麹を突きつめて手づくりにこだわっていくことで、高橋商店にしかできない麹づくりをしよう。麹のクオリティーをもっともっと伸ばしていきたい。「昔から伝統として当たり前にやってきたことが、今の時代にも本当に必要なのかわからないものも結構あるんです。ただ、先人たちは意味があって続けてきたはず。本当に意味がないとはっきりわかるまでは、ひとまずやり続けようと思うんです。他の蔵には必要のないことでも、私たちの蔵には必要なことかもしれません」。

高橋商店がある八女には電車が通っていない。呑みに行く時は、バスや車に乗って久留米に出かける人が多いそうだ。つまり、八女で働く人たちにとって呑む場所は必然と地元が多くなる。地元の酒販店に支えられている高橋商店だからこそ、地元の人たちが日々の晩酌で飲めるお酒を意識してつくっている。

中川さんは「私たちがつくるお酒の味がちょっとでも変わると、『この間、繁桝を買ったんだけどいつもと違う味だね』と感想を直接伝えに来てくださる方やメールや電話でご指摘をくださる方もいるんです。もちろん、見知らぬ人ですよ! 酒販店さんからもご指摘をいただくこともあります。私たちが気づかなかったことを、気づかせてくれる。応援していただけているんだなぁと心から感謝しています」。

国内を飛び出し、今や海外での活躍も目覚ましい日本酒。ワインの本場・フランスでも高評価を得ている。JALが国際線のファーストクラスで初めて日本酒を採用したのは、今から30年前の平成2年のことになるだろうか。その時、全国から2種類の日本酒が選ばれた。1本は石川県の『菊姫』、そしてもう1本が、冒頭のプロローグでご紹介した高橋商店の『箱入娘』だった。

当時、日本酒は寒いエリアでつくられるお酒がおいしいと言われていた時代。以後、箱入娘は日本酒の代表として平成16年まで空の旅を支え続けてきた。「日本と世界をつなぐJALに選んでもらえたことが、蔵で働く全員にとってとても励みになりました」と中川さんは感慨深げに話す。その話を聞いているこちらまで目頭が熱くなった。

昔も今も、自分たちが「これだ!」と思う酒づくりを全うするために宣伝に力を入れずにひたすら技術の向上と継承に力を注いできた。その努力を認めてくれる酒販店が高橋商店の商品を取り扱っているし、「どういうルートでJALの方が箱入娘のことを知ったのかはわからないのですが」と中川さんは話すが、1つひとつの関係性を大事にし、様々な努力が積み重なったからこそ目に留まったのだろう。

撮影の続きをしようと蔵の前で中川さんと立ち話をしていたら、敷地内に1台の車が入って来た。中川さんと製造課長の山科さんが「誰だろう?」と様子を伺っていると、その車は中川さんの出身県である四日市のナンバーだった。中川さんは「ちょっとすみません」と場を離れ、車のそばへ行き「こんにちは〜。私も三重県出身なんですよ」と運転席の人に話しかけ、名刺を渡していた。

なんて、気さくな人なんだろう…!車の持ち主も、自分たちに話しかけてきてくれた人がまさか蔵元だなんて思ってもいないだろうし、こんなフレンドリーに話しかけてもらえたらうれしくて絶対ファンになるだろうな! 現に取材を通して高橋商店のファンになった人がここに2人(筆者とカメラマン)もいる。中川さんは自分が社長をしていること、車の持ち主は観光で八女に訪れたことなど会話の端々が所々聞こえてきた。隣にいたカメラマンも「いい光景ですね」とうれしそうな表情をしている。

一人ひとりとの関係性をとても大切にしている19代目蔵元・中川さん。娘婿である中川さんは歴代の蔵元の中で初めて名字が違う蔵元になるが、外部から来た人だからこそ、今までの蔵元とは違った見え方や考え方もあるのだろう。

帰りに、高橋商店の親戚が経営している『朝日屋酒店』へ寄った。お目当ては、もちろん高橋商店の日本酒。この原稿が校了を迎えたら、ご褒美としてゆっくり飲もう。今からとても楽しみだ。

高橋商店

http://www.shigemasu.co.jp/

0943-23-5101
福岡県八女市本町2-22-1

※「繁桝を買える店」「繁桝を飲める店」はHPに掲載。
お店によって置いている“繁桝”の種類が異なるので、
各酒販店に問い合わせてみよう!