Vol.5 夜明茶屋 金子英典さん
金子さんの朝は、3時半に起きて筑後中部魚市場へ出かけることから始まる。「市場って威勢のいい声が飛び交っていて、お祭りみたいに賑やかだと思いませんか? 時代は進化しているのに、値段を付けて魚を競り落とすまでの流れは昔から一緒。どんなに暮らしや社会が変化をしてもこの場所は変わらない、暮らしの原点なんです」。

魚の装飾

「面白い」に出会える場所が柳川にある

別名「有明海のエイリアン」と呼ばれる魚のことを知っているだろうか? 彼らの本当の名前は“ワラスボ”。小さくてとんがった歯をイーッとむき出しにした表情は不思議な愛嬌があり、インパクトがある。

そんな有明海の魚を買ったり食べたりできる店が柳川にある。店の名前は『夜明茶屋』。1890年(明治23年)から続く老舗で、道路沿いから覗くと一見魚屋だが、“食堂部”がある奥はテーブル席と座敷があり、昼と夜に営業をしている。

魚を売っている場所と食事ができる場所の間には、仕切りがない。食事のメニュー数は豊富だが、売っている魚を見て「これが食べたい」と伝えれば、その場で調理をしてくれる。いろいろな種類の魚を眺めているだけで楽しいし、なにより日々の暮らしの中でまず見かけない珍魚の存在は、新たな発見と新鮮な面白さをもたらしてくれる。

数年前、初めて店に訪れた時にワラスボという魚のことを初めて知り、じっと見入っていたわたしに対して、買い物にやって来た常連客らしきおじいさんが慣れた手つきでワラスボを掴み「指を出してごらん」とフレンドリーに話しかけてくれた。
なんて活きがいい、ステキな場所なのだろう。店員とお客の距離が近いことにも驚いたし、一般的な魚屋とはちょっと違う魚のネタが面白くて、そこから夜明茶屋のことも、有明海と有明海に生息する魚のことにも興味を持つようになった。

そういえば先日、柳川に観光で訪れたフランス人の夫婦が店に立ち寄ったそうで、やはりワラスボを珍しそうに見ていたそうだ。ご主人が指を差し出すとワラスボは見向きもしないのに、キレイな奥さんが指を出すと口をパカッと開けて甘噛みしてきたという。「噛む、噛まないはこの子たちに権利があるから」と店長の園田さんは笑いながらこのエピソードを紹介してくれた。ワラスボが噛んだ時の強さは3歳児ぐらいの強さだから、さほど痛くはない。

魚の装飾

有明海の珍魚ってどんな味?

夜明茶屋では、ワラスボとムツゴロウを始めとした有明海の珍魚をいただくことができる。せっかくだからフレッシュな味わいを体験してみたいと、ワラスボとムツゴロウの刺身を注文してみた。どんな味がするのだろう? 想像がつかない未知の体験だ。

「ムツゴロウとワラスボの活き造り(1500円)」

まずは、醤油をつけずにそのままいただいてみる。味の感想はというと、ワラスボもムツゴロウもクセがまったくなく、淡白な味がする。ともに歯ごたえはあるが、ムツゴロウの方が甘みが強いように感じた。試食をしていると通りがかった店員が「ワラスボやムツゴロウは干潟に住んでいるから臭いんじゃないかと思われがちなんですけど、しっかりと洗えば臭くはないんですよ」と話しかけてくれた。

ちなみにワラスボの目は頭部に埋もれているようなルックスだが、これは干潟の中で暮らしているうちに目が退化していった所以(ゆえん)だという。店長の園田さんは「僕たちの親知らずと一緒。1000年後には親知らずもワラスボの目もなくなってるかもしれないね」と話す。

こんな面白い話が聞けて、珍しい食事ができて、料金は地元価格の良心的なおもてなし! 柳川の漁師や魚屋、すぐそばの市場で働いている人たちもお客として来ていると聞いたが、なんだかわかるような気がする。4代目社長の金子さんは「魚のプロたちが食事に来てくれるって、言葉以上に緊張するんだよ」と笑うが、魚の鮮度や鮮度を壊さない調理をしているからこんなに人が集まってくるわけではない。魚に対して、店に対して、地域に対して、お客に対して根底にブレない愛があるから、会話の端々や行動からその愛情がふんわりと伝わり、お客の心をあたたかくするのだと思う。

取材中、あるご夫妻と高齢の母親が隣のテーブルで食事をしていたが、店長の園田さんとの会話のやり取りを聞いていてもそう感じた。奥さんの実家がある柳川へ里帰りした時は夜明茶屋で食事をしているようで、見知らぬわたしが会話の中に入れさせてもらえたのも、まさに今まで育んできた信頼関係や安心感があったからだろう。

その奥さんは子どもの頃からマジャクが好きで、よく食べていたという。マジャクとは干潟に住んでいるアナジャコのことで、ビジュアルはシャコと似ている。ただ、シャコは身を守るために殻が硬いが、マジャクはなにかあるとすぐに干潟の中に逃げ込むため殻が柔らかく、唐揚げにするとソフトシェルのような食感を味わうことができる。

マジャクは獲った後、放置していると生きたままでも臭くなりやすい。そのため、柳川などでしか食べることができない。奥さんは「結婚して初めて柳川を出て、大好物のマジャクが他の地域では手に入らないことを知り、驚きました。当たり前だったことが、実は当たり前でなかった贅沢さ。良い環境で育ったのだと、大人になってから改めて柳川の良さを再認識しました」と話していた。

魚の装飾

有明海の魚の歴史って実は奥深い!

話題を少し前に戻してみたい。では、ムツゴロウやワラスボはなぜこんなにも珍しいのか。それは彼らが、日本列島と大陸がつながっていた約2万年前の氷河期の頃から干潟で暮らしていた動物たちの子孫で、独特の自然条件により種の保存が守られてきたからに他ならない(「大陸遺存種」という)。そして、国内では有明海と八代海にしか生息していないというから、いかに貴重な魚かということがわかる。

その他にも、例えば有明海で獲れるスズキは玄界灘で獲れるスズキとビジュアルが微妙に違う。有明スズキには斑点があって、大陸スズキと似ているそうだ。

有明海沿岸ならどの場所でも珍魚を食べることができるかといえば「そうではないんです」と金子さんは言う。八代エリアで獲れるマジャクやイソギンチャクは佐賀エリアではあまり食されないし、一方、佐賀エリアで獲れるエツやワラスボは八代エリアでは食文化として発展していない。中間地点である柳川だけが、唯一オールマイティーに食べてきた文化を持っている。

ニュースでも度々取り上げられているが、有明海の漁獲量が年々減ってきている。「昔はガネシャッパをトロ箱に入れてあんなに食べていたのに」と金子さんが呟いた。柳川の方言で「ガネ」とはワタリガニのこと、「シャッパ」とはシャコのことを指す。昔は海から湧き出るように魚が獲れていた豊饒(ほうじょう)な有明海のことを地元の人たちは「宝の海」と言っていたそうだ。「こんなにおいしい魚が獲れる有明海を守るために、今、僕らができること。それは、有明海と有明海の魚に興味を持つ人を増やすことだと思うんです」。

柳川は、遠方から遊びに来る人が多い。しかし宿泊施設が少なく、夕方になると観光客は帰ってしまう。賑わうのは昼が中心だ。観光エリアである柳川の中心地は、最寄り駅である西鉄柳川駅からやや距離があり、夜、お客が食事をしても食べ終わったらすぐにタクシーで駅まで帰ってしまう。金子さんは「柳川に宿泊してもらえれば、次の日の朝は早起きをして市場へ出かけて競りの様子を見たり、ムツゴロウ釣りや、くもで網漁の体験ができるのに。商店街でのお買い物は楽しいし、清々しい早朝やライトアップした夜のロマンチックな掘割沿いのお散歩は、泊まるからこそ楽しめる体験だと思うんです。そんな考えのもと、ずっとあたためてきたアイデアがあって…」。

そのアイデアの1つを実現させるために、最近、柳川で増えてきた空き家を利用して新しいプロジェクトを始めた。2020年10月1日、夜明茶屋から徒歩1分ほどの場所に1棟貸しの「夜明の宿」が待望のオープン!

魚の装飾

柳川の暮らしを体験できる「夜明の宿」

空き家だったこの宿を手がけたのは、地元の工務店や電気屋、家具屋、水道工事業者、司法書士など地元で働くメンバーたち。“ALL地元”の力を結集してつくりあげた。
昭和30年代に建てられた家だが、つくりはしっかりとしている。金子さんは「快適に暮らせるようにWi-Fiを引いたり、水周りを改修したけれど、基本はできるだけお金をかけずにリノベしようとそれぞれの分野のエキスパートであるみんなの知識や経験をこの宿に詰め込みました」と話す。

7〜9月まではプレオープンとして、様々な宿泊客を受け入れていた。ワーケーションで1週間滞在した夫婦や、移住先を考えているという東京在住の家族が泊まりに来るなど、出だしは上々! 夜明の宿から佐賀空港までは車で30分とアクセスが良く、市役所には移住を考えている人たちの問い合わせも多いので、移住検討者の宿としてもぴったりだ。

宿は10人まで宿泊ができ、ルームサービスもある。夜明茶屋からの出前はもちろん、夜明茶屋の近所にあり、知る人ぞ知る有名店「島田酒店」のお酒を注文することもできる。しかもこの宿は、大川が全国に誇る「広松木工」の家具が使用されており、広松木工のベッドやイスなど実際使って体感することができる贅沢な一面も併せ持つ。

「大川家具に触れて、柳川で育てて柳川でつくった畳に寝転がって、有明海で獲れた魚を食べて、有明海で獲れた魚には地元の風土で育った地元の酒が一番だと思うので、筑後のおいしいお酒を揃えました」と金子さん。

現在、夜明茶屋や夜明の宿から10分ほどの距離にある「筑後中部魚市場」での市場見学は、年に数回、行政が開催しているが「市場の人たちが慣れてきてスムーズな対応ができるようになったら、僕が案内するから夜明の宿でも市場ツアーをしたい!」と金子さんは目を輝かせながら話してくれた。

生活者の目線で暮らすように泊まる。そんな旅ができると、どんなに楽しいだろう。ただ滞在するだけでなく、地元の人と会話を重ねることで体験はより面白さを帯びてくる。

雛祭りなどの様々なイベントや川下り、鰻を食べに、御花を目的に出かけることが多い柳川。次は有明海の珍魚を目的に出かけると、今までと違った目線で楽しい時間が過ごせそうだ。経験したことがない新しい出会いは、いつだってわたしたちの心をワクワクさせてくれる。

夜明茶屋

http://www.mutugorou.co.jp/shokudo

0944-73-5680
福岡県柳川市稲荷町94-1

食堂は11:30〜O.S.14:30、17:00〜O.S.21:30
魚の販売は9:00〜21:00
休/火曜
アクセス_「西鉄柳川駅」より車で約10分、
または川下りの乗下船場「沖端水天宮」から徒歩2分