「タキさん、教えて下さいよ。チョー困っちゃって」
駆け寄って来たのは―40代半ばの放送マン、聞けば急逝した先輩への弔辞を仰せ付かったと。
何を隠そう私は若い時分から「追悼」に関する一連のエピソードに大層関心が深く、葬儀の名人と自嘲するほど多くの知友を送った川端康成がいかに変幻自在であったか。中原中也の追悼詩を切々と認(したた)めたのは恋敵(こいがたき)の小林秀雄で、中也の詩が世に出たのは、ひとえに小林の尽力による、とか、芥川龍之介への泉鏡花による弔文は漢詩文鐘花流で練りに練った名調子だった。などと古今東西の人間誰しも巡り合うその日の感情の在り方が気になって、調べ集めてきたのでした。
池波正太郎が「一日が終わる時にたとえ5分でも10分でもいいから『死』について深く考えてみることだ」と勧めているのを知ったのも影響しているし、肉親の死の早い体験もある。
それやこれやを基に先程の40男と話し合ったのは、亡くなった方は「自分が明るいと、相手が明るくなる。そして自分ももっと明るくなれる」と堂々語っていた生粋のユーモリストだったと。
「早めに死ぬのは早めのバスに乗って先にいくだけのこと。この世よりあの世のほうが会いたい人が多いし少しだけ待っていればやがてどんどん来るんだから」とも。そういうことなら―と私はこんなふうに応えたのでした。
「また会えるから」とあなたはいいました。
世の中にはいろいろな信仰や思索があるけれど、故人との再会を約束しているのが共通。
夢で空で風で星で、月で、生まれ変わって、愛する人とは必ず会えるというのです。
世界中の別れの挨拶には「また逢いましょう」という意味が込められています。
日本語の「じゃまたね」、中国語の「再見」、英語の「see you again」、仏語や独語も同様です。
人々は別れに直面するにあたり、再会の希望を抱くことで耐えてきた、ともいえますが、実は二度と会えない別れなどは存在せずまた再び会えるということを無意識のうちに知っているのではないか。必ず会えるという潜在意識の存在が別れと再会を重ねさせているのだと、思えてならないのです。
センパイ!また会いましょう。