滝悦子のエッセイ「洒洒落落(しゃしゃらくらく)」

知るか、知らないか。

身の上相談の連載を始めたら案の定、色恋のモンダイが圧倒的に多いのでした。
なかでも「カレが、前に付き合ってた男のことを知りたがる。根掘り葉掘り聞くのでイヤになる」というのが数多く散見されます。もちろんカレがカノジョ、男が女に変換されるケースもあるわけです。
シット、ヤキモチ、自分への自信の無さ、人間としての器の小ささなど、理由はさまざまでしょうが、一番必要なのは「無知の深さを知ること」。無知によって支えられている暮らしもあるのだから。「この人にこんな過去があったなんて知らなかったほうが良かった。なんで聞いてしまったんだろアーヤダヤダ」と、私でさえも何度となく悔やんだことがある。
こういうときには哲学者の言葉がストンと胸に響くのですね。土屋賢二先生は「ツチヤの口車」の中でこう仰っています。「無知の上に成り立つ平穏さはまやかしだが、それでも無知のままでいたい。(中略)とくに結婚生活では無知の役割が大きい。女は結婚すると、必ずと言っていいほど結婚相手に幻滅し「もっとこの男の本性を知っておけばよかった」と後悔するが、女はそもそも未知な部分をもった男でないと魅力を感じないのだ。その証拠に、何をするかが予測できる善人よりも、何をするか分らない悪の香りがただよう男に魅力を感じるのだ。女は未知の部分があるから結婚し、未知の部分がなくなると幻滅するのである」うーん。確かにそういわれてみればそうかも。と納得させてしまうのが哲学者独特の言い回し。
また先生は「うっかり知ったために後悔していることも多い。天使のような女が存在しないことを知らなければよかった。天使でないくせに天使みたいな顔をするな。おいしい物は身体に悪いことも知らなければよかった。それを知ったばっかりに、おいしい物を食べると罪悪感を抱くようになってしまった」と(笑)。
で、元に戻り、知りたがる交際相手に対しては、「自分の嗅覚で判断できない未熟者だから、即刻別れるか、慈悲深く根気強く魅力的人間に育ててあげるか」ですが、大切なことは人の本心は永遠に分らないと知ることではないでしょうか。