櫻花らんまん。
花といえばサクラ、にぎやかな花見が繰り広げられる一方で、古くからサクラをテーマにした詩歌や小説には何故か死を連想させる作品が多いのです。春という季節は生と死をあらためて考え直すのにふさわしいのかもしれないと思ってみたりします。
折しも20年来の友人が本を出しました。
「あの世へ逝く力」(幻冬舎)著者は小林 玖仁男、さいたま市で懐石料理店二木屋を経営している。由緒ある日本家屋で、料理のみならず、和食文化を歳時の室礼にし見せるなど和の継承に努めながら、郷土玩具や雛人形の研究家としても活躍。幅広い視野と深い思索の持ち主で、私の自慢の友でもある男が「ある日病が発見され、突然、余命宣告を受けました。助かる見込みのない進行性の難病。早ければ二年半ほどで死に至る」と。「死にも技術が必要です。終わりが近づくほど、人生は楽しくなる」と書いた「終活」よりも大切なこと。二百頁余の本を一気に読んで、私はこぼれる涙をおさえきれませんでした。
けして闘病記ではなく、この世を旅立つ最後の瞬間まで楽しみを用意しておけば、死の恐怖を克服できる。生きているときに自分の物語をつくり、死んでもその物語の中で生きつづけようとする意思表明の記なのです。
「死は怖い」と抽象的には思っていても、誰もがこの問題を避けています。
もちろん死ぬまで死の経験はできません。経験した人は残らず逝ってしまうので、誰も教えてくれません。だから「死」は、未知の恐怖や不安がずっと大問題なままです。
日本は死をタブー視して「死への準備教育」をいっさい放棄してきましたから、みんなが経験する死を、それぞれが、いちいち手探りで克服しなければなりません。
本当は、早くから死を考える機会を持ち、死について知れば、ずっと受け止めやすくなるはずですが、義務教育でも教えてくれません。死の宣告を受け具体的な死が押し寄せて初めて死の知識がないことを思い知る――人は人生で一度だけ死ぬチャンスがあり、悔いなく終わるためにこの本は最善の参考書となるはずです。