滝悦子のエッセイ「洒洒落落(しゃしゃらくらく)」

母の作ったものなら何でもいいです。

福岡大学商学部で毎年秋に講義を受け持つようになって20年程経つ。三年生を対象に、社会人10余名から成る講師陣が「観光経済学」というテーマで行うオムニバス形式、特別講義の一環だ。
私に与えらえた題は「食と観光」。旅をする際に欠くことの出来ない「食」について、多方面からの考察を試みるべきだと語り続けている。
語るだけではなく、10年程前からは出席者約200名にひとつだけアンケートを取ることにした。
「明日、命が尽きるとして最後に食べたいものは?」
現代を生きる学生たちにとって一番好きな食べものは何だろう。この疑問に答えてほしいと考えたとき、「好き」ぐらいの尋ね方では漠然とし過ぎている。もっとインパクトのある設問にしたい、そうだ、最後の晩餐だ。と決めたのだった。
これが非常に面白く感慨深いのだ。なんといってもこの10年間、答えにみなさん変わりがないんですよ。ほとんど同じような純で素朴な返信で驚いてしまう。
ベストスリーはハンバーグ、カレーライス、唐あげや豚の生姜焼。なのだがそこに但し書きが付くのが特徴。
「死ぬ前に食べたいのは、母親の作ったハンバーグです。どんなレストランに行っても母の作ったのを越えられる物がなく、いつもがっかりしてしまいます。だた、私がまだお金がなくて、高くて美味しいところに行ったことがないので、経験不足というだけかもしれません」
自己観察にも優れたこのコメントに代表されるように、母の作ったとか、おばあちゃんの塩おにぎり、父がたまに作るキンピラなど、親しい誰かが傍らに居たということが重要なのだ。
勿論なかには高級寿司店で高級ネタとか、値段の高い焼肉で希少部位を沢山などと書く人も居ることは居るがほんの3〜4人に過ぎない。
「やはり母の作ったみそ汁です。ものすごくベタかもしれないがやはり母の味は正解一だし、日本のソウルフードであるみそ汁は日本人である私を元気にしてくれるからです」
そうなんですね。白いごはんと団子汁とか今なら栗ごはんとか家族そろって食べるものなら何でもいいとか鍋を囲んで笑えるならどんな鍋でもとか。
もう涙がこぼれます。
来年、再来年にどんな潮流が生まれるのか、目が離せません。