流行るドラマには、流行る要素が確実に在る。
放送が終わった後も、人はさまざま分析して飽きないようだが、要するに日本人にとって最も琴線にふれる感覚が流れていたということだ。
一言でいうと義侠、または義侠心。
侠気(おとこぎ)ともいう。
古い映画でいえば高倉健がたった独り、やむにやまれぬ事情で敵方に乗り込む行く手の暗い空には小雪が舞っている。そこに音もなく差しかけられた傘、「お供します」と池部良が現われる。男同志の相合傘で、あとは無言の道行きだ。
男の中の男、男による男のための劇(ドラマ)。
日本中の映画館で、男たちはこんな場面に心奪われて魅了された時代がたしかにあった。
見終わった男たちは皆が皆、見てきた主人公(ヒーロー)のニヒルな身ぶりが乗り移ってその仕ぐさ人相に成り切っていたという有名な伝説もある。
入社同期の男同志の思いやり、真の意味での絆が描かれていたからこそ人々に受け入れられたと私は考えるのだ。
「上司にオゴって貰うより、高級店での接待より、同期の奴と酌み交す一杯に何よりの安堵と喜びを感じる」としみじみ語る男もいた。
器が大きく理解のある上役も有難度い。
取引先との良好な人間関係も嬉しい。
自慢の妻もいい。
たとえ理不尽なカタキ役が次から次に出てきて大ピンチになろうとも、社会においては必ずやそのような味方がいるはずだ。世の中捨てたもんじゃない。
しかし中でも一番は同志、義侠心にまさるものなしと、男たちは同調したと思うのだ。