滝悦子のエッセイ「洒洒落落(しゃしゃらくらく)」

食物性善説について

年末年始は子供連れと同席が多かった。
そのとき決まって話題になるのが食べ物の好き嫌いについて。世の母親たちは実に真剣に悩んでいるんだなぁと改めて分った。
そこで一応、子育て体験者である私は先輩面(ヅラ)して教えて差し上げた。以下はその概要である。
「動物は生まれてから2、3か月以内に食べたものをおいしいと思う学説があり、飼っている猫を見ていると2、3か月から半年ぐらいに食べたものしか食べない」とエッセイに書いたのは、かの向田邦子であり、彼女を信奉している私は焦ったものだ。
動物の2、3か月というと、人間では5、6歳ぐらいに当る。
自分ではまだ食物の選択ができない歳、与える人、特に母親の責任は重い。まさに当時愚息は6歳だった。
イイ母親でありたければ、心してイイ食べ物を、たとえば野菜類は必須であるはずだが、どっこい子供というのはそうは簡単にいかない。TVで見たといってはさまざまのドギツイ色のパッケージを買えとせがむ。
その味がまた憎らしいほど子供好みの味に仕立ててあるのが恐ろしい。男の子だから肉ばかり要求するし。
困り果てていたときに、救世主が現われた。
「10歳頃までは、人間はどうしても動物性蛋白質を欲しがるもんですよ。心配いりません!大丈夫、大丈夫」
私の悩みをじっと聞いてくれたあとでこう言ったのは精進料理「柚子庵(ゆずあん)」の主(あるじ)、白鳥頼敏さん。
「私も若い頃は1年のうち365日肉ばかり食べていたことがあるんですよ。でも、ある日突然、あーっ、野菜ってこんなにもおいしかったのかぁと気がついて」
白鳥さんは祖父の代からの料理屋の息子だから、小さい頃からいつも「刺身も肉も精進料理もすべて」選べる環境にあったという。
この「選べる」というところが大切で、頑是(がんぜ)ない子供の時分はともかくも、食卓やその周辺に「質のイイ食べもの」が用意してあれば必ず、それを食べるようになる。きっと目覚めるはずだから大丈夫だと。
そのかわり、肉が好きだからといって肉だけをポンと出すのではなく、多種の食品を「出しておく」ことが「目覚め」の前提条件となるのはいうまでもない。
私に大丈夫と言ってくれた裏には、うちではオトナたちは煮しめやひじきやきんぴらを好んで食べる、それは酒の肴でもあるから毎日食卓に並んでいるとの説明をしたからだった。
白鳥説は「人間だれしも季節季節の野菜のおいしさに気づく質に生まれてきている」というすなわち、食物性善説なのであった。
あれから20余年、たしかに案ずるより安しの結末におさまっているのは嬉しき限りだ。