輪廻転生、というコトバを初めて身近に音で聴いたのは瀬戸内寂聴さんの口からだった。
「こないだね、新幹線の中で美輪(明宏)さんに会ったのよ」
「ひゃあ〜〜」
「それがあなたオカシイのよっ」
「えっ、どこが?なんでですか」
「先生、お元気そうですねって声かけられたから私も、あなたもお元気そうで何よりって返したら『ハイ、アタシは天草四郎の生まれかわりですから』ってオカシイでしょ」
「アマクサシロウですかぁ……」
「輪廻転生を信じた結果よねおそらく」
ということで、それ以前はうすぼんやりとした理解でしかなかったこの四文字熟語がにわかに私の内で脚光をあびてきたのだった。
周りの人たちに輪廻転生をどう思うか聞いてみると、これがまたハッキリと意見が分かれるのが面白く、必ず生まれ変わると信じる人と死んだらオシマイと言い切る人と二種類ある。
私自身はどちらかというと「あの世」はないと思っている人間だが、最近、加島祥造を読んで「そういうこともあるのかなぁ」と考え始めた。
著書「求めない」「受いれる」がベストセラーになっているこの89歳の老子研究家は「若いときは合理主義者で再生を信じなかったが、これだけ大勢の人間が輪廻転生を信じる以上、否定するだけじゃすまない気がしてきた」と述べその理由として、
自然というものは、頭脳からほかの器官から遺伝子まで、ロボットなんかはるかに及ばない非常に精妙な人間をつくりながら、その人間を今までに億兆の幾千倍も消している。
これだけ精妙な能力を持たせた人間を、たった70か80年で消しちゃうなんて、そんな無駄をするわけがない。大自然は人間を幾度もどこかでつくり直してるんじゃないという気がする、と。
如何でしょうか?みなさん。
いずれにしても「今この一瞬を大切に生きる」のが大切ではあるのですが――。