滝悦子のエッセイ「洒洒落落(しゃしゃらくらく)」

好きになった人

「新しい彼女、連れて行きますから見て下さい」と頼まれたから「いいよっ」と引き受けた。
ひと目会ってびっくり。
「前のひととソックリやないね」と喉(のど)まで出かかったから慌てて呑み込んだ。
この能天気な男34歳は、たしか前妻と結婚して半年目に互いの浮気がバレ、端で見物しているだけでも疲れ果てるスッタモンダの挙句(あげく)にやっと2年程かけて離婚したばかりではなかったか。
あ〜それなのにそれなのに・・・。
せっかく別れた相性の悪い人とわざわざ似ている人を見つけてくるとは何たる間(ま)のわるさ。
しかも当の本人は、その相似性に全く気がついていないのがお笑いぐさなのだ。
「二度と同じ間違いはいたしません。ましてやもうケッコンなんて真っ平です」なんて言ったのは誰だ。
そうなんですね。
人の恋愛対象における好悪の情には大いなる習性が存在する。
最初にAという形の恋愛をした人が、次に相手を変える場合、Aの次だからB、その次はC、そしてD。という発展性のもとに続いていく、わけでは決してないのである。
Aの次はA´(ダッシュ)、次はA´´(ツーダッシュ)次はA´´´(スリーダッシュ)と移行していく。
これは私が60余年の貴重な観察結果をふまえた意見であり、実際、「そういえばそうですねぇ〜」と賛同して頂くこと二度や三度ではない。
つまり、人々の「タイプ」は一定であると。
似た者夫婦という表現がある。長く共に過ごしたカップルはだんだん顔が似てくるらしく、よく使われるフレーズだ。
しかし私にいわせると少々違う。似てくるのではなく、もともと似ているから惹かれ合い、人生の伴侶としてうまくいったのだ。
「やっと見つけました」と紹介された彼女がその男の母親とそっくりだったこともある。身近に見慣れている顔には良くもあしくも安心感もあるというわけだろう。