今年の中秋の名月は、9月30日。
私は月見が大好きなのだ。一年中、四季折々に眺める月にどれだけ心を惹かれてきたものか。
夕暮れどきに、ふと見上げた空、ビル群の向こうにぽっかり浮かんだ三日月をみつけた瞬間など、えもいわれぬ幸福感に包まれる。
そんな日々の月模様もいいけれど、やはり中秋の月は格別である。私は何故か金環食や金星の日面通過など太陽系のイベントには心が動かず、気持ち穏やかにさせられるのは月にかぎるのだ。
日本人は、昔から旧暦の8月15日の月を中秋の名月と呼んで親しんできた。
旧暦では7、8、9月が秋。8月はその真ん中、すなわち中秋なので十五夜の月を中秋の名月と呼ぶようになったのだが。さらに私が好むのはまだまだ細分化した月の愛称が、どれも雅びなことだ。
満月となる15日を「望(ぼう)」、前日の14日を「待宵(まつよい)」、翌日の16日を「十六夜(いざよい)」または「既望(きぼう)(既に望を過ぎた)」の月と呼び、多くの歌の文句にもなったように情緒と興趣にあふれているではないか。
さらにさらに、中秋から一ヶ月が経って秋も深まる旧暦の9月13日(今年は10月27日)、もう一度名残りの月を観賞する「十三夜」もいかにも大和人の感性が表現されていて風情がある。
中国から伝わった風習の十五夜に対して、十三夜は日本独自のもの。昔は十五夜に月見をしたら十三夜にもするものだと決まっていた。十五夜だけでは「片月見」といって縁起がよくないとされていたというが、今、そんなことを知っている人がどれほど存在するだろうか。
禅語の中には月に関するものが多くたとえば「掬水月在手」(水を掬(きく)すれば月、手にあり)は秋の茶会の掛物によく使われる。秋の夜の月を眺めるときの境地は、自分と月が一体になっている、すなわち人境一如、自他不二だ、と。あぁ奥深い。
好きな者どうし誘い合って眺めに行くのが夏の花火大会だけでは淋しすぎる。月見という物語性豊かな、恋の生まれる気配濃厚な機会をぜひ生かして頂きたいと思う。