滝悦子のエッセイ「洒洒落落(しゃしゃらくらく)」

暑中の涼を

身近なところで節電、どうしてますか?と尋ねられて即答した。
「エアコンは使わない」。
ちなみに今日は7月20日だけどまだ私はエアコンのスイッチを入れたことなく、ごく普通の都心のアパートで十分に生活してますよ、と。
暑いからといってただちにポンッと冷房では、まず情緒がありません。潤(うるお)いもなく即物的に過ぎる。
帰ってきたら窓を開け、汗を流し、すーっと通り抜ける一陣の風を感じる、この手順が夏の味わいなのにと、勿体なく思う私はヘンですかね。
町を歩いていてもたとえばちょっとした木陰に佇(たたず)んでゆったりしていたらそこに風がそよぐだけで涼しさが体感できる。これが嬉しい。
盲目的にスイッチONをいちど止めてみて頂きたい。
江戸時代のことを調べていたら、昭和に入ってから30年代までの庶民の暮らしぶりはほとんど変わっていないことが分った。便利な電化製品は普及していなかったし洗濯はまさに江戸と同じ。
なんでもかんでも昔は良かった、と懐古趣味に浸るのは好まないが発想を元に戻してみるのは必要だと思うのだ。
食べものは何でも冷蔵庫に入れる、というのもおかしなことで冷やさないほうが保つ場合もある。買ってきてすぐ冷やす神話がオカシイといちど疑ってみてもいい。
私は野菜は霧を吹いて例えばキャベツはヘタを切りなおして濡らして新聞紙で包んでおく。ものにもよるが野菜はそのほうが美味しい。
だいたい野菜は冷蔵庫で育つものではないのだから。床下収納が秀れているとかの考え方は野菜に限らずたくさんあるし、工夫しだいで発見は広がる。
打ち水も盛んだが、コンクリートの上に散布しても効き目はない。土に捲いて初めて活きるのだ。ましてや日中にいくらやっても駄目で、日が暮れかかってからのほうが理に適っている。などなど先人の知恵に学び、暑中の涼を愉しむのも一興ではないか。