滝悦子のエッセイ「洒洒落落(しゃしゃらくらく)」

指導者について

久留米市民オーケストラは創設25年、市民オーケストラとしては異例で、強固な団結力は日本一だ。
長らく役員をしている私は、今年も5月の定期公演で至福の演奏に立ち会った。
その折、客演指揮者の小松長生氏と歓談、指揮者の存在意義をあらためて確認した。
「のだめカンタービレ」の大ヒット以来、この職業への注目度は一段と増しているが、昔からプロ野球の監督と並んで、一度はやってみたい仕事。
いちばん多く投げかけられる質問は、
「楽団員はいちいちキチンと指揮者を見ていないようだし、あんな簡単な動作ですむのなら誰にだってできるかも?本当に必要なの?」
それに対して、小松氏はいつも
「はい、必要ですとお答えします」と。
その理由は、楽員は自分のパートの練習や楽器の調整などに大部分の時間を割かれるため、作品のスコア(総譜)を読み込んで作品の意味をじっくり考える専門家=指揮者が必要なのだ。また大勢いる楽員たちに練習をつけるトレーナー役も指揮者の役割だと。
さらには、広くて音のタイミングに「時差」が出やすいステージにおいては、視覚的な定点としての「灯台」の役目も負っている、と。
ナルホドねぇ、私は大いに感心。これまで何度もコンサートに行ったのに、こんな適切な表現を用いた指揮者観には初めて出会った。
有能かつチャーミングな小松氏ならではの言い回しだ。
とにかく指揮者たるもの多くの勉強が必要で、

  1. ① 作曲家という建築家・デザイナーが書いた図面(スコア)を読みこなし、
  2. ② 完成すべきものをメイン化して、
  3. ③ それをもとに現場監督としてテキパキと職人(楽員)たちを指揮する
ざっくり言ってしまえば、これが仕事のメインだと。
メンバーが一致団結して素晴らしい音楽を創り出すオーケストラは、企業組織と似ている。それを率いる指揮者の強力なリーダーシップは経営者や管理職に通じるものがある、とも分析する著書「リーダーシップは『第九』に学べ」(日本経済新聞出版社刊)は必読だ。