滝悦子のエッセイ「洒洒落落(しゃしゃらくらく)」

結婚は冒険だ。

大震災のあと、結婚して入籍するカップルが増えているという。
そーゆーこともあるのかなぁ、なんとなく解る気もすると感じてはいたのだが、福岡で写真館を経営する知人から「ポートレートを撮りに来る人が増えました」と聞いて、ほぉ、説得力あるなと実感した。
写真を撒いて見合いをして身を固めたい。独身ではイカン、と考え始めたということですよ。
また、全国で婚活パーティを開き年間で累計40万人の婚活者が利用している専門会社の分析では「大震災の影響から、収入よりも性格や人柄を重視する女性が増えているようです」と。
いうまでもなく、結婚とは、ただ一人のために、あと残らずの人を断念せねばならない行為である。
私の周りには、40や50までと歳を重ねながらいまだに結婚していない男女が多く存在する。この機会にその人たちに改めて非婚の理由を尋ねてみたところ、意外な共通点が見つかったので報告したい。
まず彼や彼女たちは「まだ諦めてはいない」者がほとんどであった。「チャンスがあれば一度は結婚をしたい」と異句同音に言うのには驚かされた。50歳を過ぎても尚、皆、口を揃えるのである。
大変に望ましい傾向ではないか。
私は安堵して次に質問を続けた。どんな人を求めるか、と。
「その女性がもし男であったら、きっと友達に選んだであろうと思われるような女でなければ、妻に選びたくない」
「家事はすべて折半。女だけが受け持つなんてイヤだから力を合わせて運営したい、というと男の人は引きますね」
「隠しごとのない家庭をつくりたいとお願いしたら断られた」
残念ながら、どうも大切な視点が抜けていると判明した。だからこそ遅れているのだろう。つまり結婚とは作り出し育むもので、完成形でころがってはいないんですよ。
人間形成の場と悟り、無から有を生み出す決断をした冒険家でないと、入籍というある種の暴挙は実現できないと申し上げた次第である。