滝悦子のエッセイ「洒洒落落(しゃしゃらくらく)」

歌と乗り物

「このごろの歌さぁ、何て言ってるのか分んないんだよねっ。歌詞が聞き取れなくてさ」
と、眉間にタテジワ寄せてマジに嘆いているのは私のような中高年ではありませんよ。
20代後半もうすぐ30代に入るという元々は、ミュージシャン志望だった美形に属する男なのだ。
「新しい歌や現在ヒット中の歌の内容が聴き取れない、とか、テレビに出ているタレントの顔が皆同じに見える。あるいは何度見ても聴いても顔と名前が一致しない、覚えきれない」という現象は明らかに老化であると誰もが認識していて、その分水嶺は40代を迎える頃かと私は勝手に解釈していたのだがどうも違うらしい。最近は10代から20代に移行する時にもう発症するらしく「最近の若いヒトは」と20代が10代に向って宣(のたま)うのも珍しくないという。
「それはねぇ、乗り物の歴史と関係あるんだよね」
とユニークな解説をするのは菅原洋一さん。デビューして53年を迎える国民的歌手。昭和の時代の紅白歌合戦に連続22回出演、「知りたくないの」「今日でお別れ」「忘れな草をあなたに」等のヒット曲がある。
「テンポが速くなっていったのが歌の特徴でね、最初は人間の歩くテンポだったの。イチニイチニの2分の2拍子。これが基本」
「はぁ〜」
「次は騎馬。馬に乗り出して4分の3拍子になった。イチニサン・イチニサンの3拍子。ウィンナーワルツの3拍子と同じね」
「次は?」
「自動車ですよ。歴史を俯瞰(ふかん)してみると戦争が起きて終わるたびに科学や工業が発展してきたわけで、武器と乗り物がその最たるもの。で第一次大戦が終わって自動車の時代になり4分の4拍子になった。イチニサンシ・イチニサンシ。となると次はもうラップしかないよね」
「なるほどぉ〜」
「日本の流行歌をみてみると一番画期的なのは新幹線の登場だよね。あの頃を境に歌のテンポがどんどん速くなっていった。東京から大阪だと泊りがけが普通だったのに日帰りになっちゃって味気なくなった。みんながラブレターを書かなくなったのも時を同じくするらしいよ。乗り物が速くなってスピード化されることによって人間の情感とか風情はカットされていった。便利だけど、ヒトの時間よりずっと速い時間の中にいて、果たして幸せかどうか…」
すると、「テンポが速くて聴きとれない人たち」は情感を保ちたいヒトとしてのせめてもの抵抗だといえるのかもしれない。