雑誌が好きだ。
週刊誌や月刊誌を5〜6冊回りにばらまいて読み散らかしているときの幸福感といったらない。
至福とはこのことだ。
と、ずっと以前に林真理子も同じ事を書いていて、ホント、他人とは思えなかったのものだ。
そして雑誌の記事のなかでも、私は、対談という型式を特に好むのだ。
世間で名の通った人たちの普段は見せない、思いがけない一面がホロリと漏らされる一瞬。
それが対談、語り合いの妙味ではあるまいか。
最近ではビートたけしVS王貞治(新潮45・7月号)
「娯楽といえば野球しかない時代のスーパースターで憧れの的でした。おいらは芸能界に入って、いい年になってからも、王さんや長嶋さんを見ると緊張しました」
と最大級の賛辞を贈るたけしはここぞとばかり大量ホームランはどうして成し遂げられたかなど核心に迫る質問を浴びせ、またそれに対してタイムリーな意外なおそらく秘密であったであろう答えまで引き出すあたりはまさに丁々発止の展開なのだが、終盤になって王貞治の一言。
「たけしさんこそ、すごいですよ。私は野球一筋で、狭い世間しか知らない。私から見ると、たけしさんが唱える『人間、振り子理論』は魅力的です。人間には振り子のように振り幅があって、悪いことをする人間ほど、逆にいいこともできるんだという(笑)。たけしさんのふり幅はすごいと思っているんです。」
はぁ〜〜、これには参りましたね。目のつけ所が良い!どこが野球一筋ですかっ!と思わず喝采した。だってそーでしょ。振り幅がある人間に魅力を抱くということは、とりも直さず、己れも幅のある、人として器が大きいという証であるわけでして。
数多くあるビートたけしの名言の中で、王貞治の琴線にふれたのが「人間、振り子理論」だったことを、私は大いに歓ぶものであります。
ついでに、もうひとつの名言を。
「浅草の時分の師匠いわく、芸人というのは、舞台に立っているとき、二重人格にならなきゃいけない、と。もう一人の自分を客席に座らせなきゃいけない。自分は客席にいて、しかも自分がこっちで演じてる、この関係だけはわかってないと駄目だ。つまりもう一人の自分を意識した結果、覚めた自分がいる」
芸人のみならず、自分を客観視する大切さを教えてくれるフレーズではあるまいか。