三か月が経った。
その間、一日たりとも惨状を目にしなかった日はなく、深刻さを耳にしなかった日もない。
日本史上、これに匹敵するのは太平洋戦争の大空襲や原子爆弾だとさえいわれている。
旧知の精神科医によると「命がけの脱出や肉親との別れがもたらす心の傷は予想以上に深く、身体に比べて心の回復には長い時間が必要だ」と。人々が忍耐強いのが救いだが、忍耐にも限度があるのは明らかだ。
私は私なりにこの間考えたこと、思いに浮かんだことがある。
まず思い起したのは「国があなたに何をしてくれるかではなく、私たちがともに何をできるかを問うて下さい」というケネディ大統領の就任演説の一説だ。
これは「今なにが必要かを問わずともよい。自分になにができるかを問うことです」という魯人の言葉とも重なり合う。
全く、今、この自分に何ができるのかを問う毎日であるのは間違いない。
胸を打たれた話をお伝えしたい。
自衛官の友人から聞いて、泣いた。
児童の約七割が死亡・行方不明になった石巻の大川小学校で救援活動中の陸上自衛隊第14旅団(香川県)の隊員が手紙を受け取った。
小学校近くの宿営地に青いワンピースを着た女児がきて、恥ずかしそうに「はい、これ」と封書を渡して立ち去ったという。
動物のイラスト入りの可愛らしい一枚の便箋に「つなみのせいで、大川小学校のわたしの、おともだちがみんな、しんでしまいました。でも、じえいたいさんががんばってくれているので、わたしもがんばります。日本をたすけてください。いつもおうえんしています。じえいたいさんありがとう。」と書いてあった。
旅団はコピーして現地で活動する部隊に配った。多くの隊員が財布などに入れて持ち歩いているという。