滝悦子のエッセイ「洒洒落落(しゃしゃらくらく)」

どんなものを食べているか

「食べることと、ねむることの幸福。人間の生活を突きつめていくと、この二つにしぼられてしまう。また、私は、仕事も生活も、すべて、この二点へしぼって行くようにしている」(『食卓の情景』より)
と断言したのは池波正太郎で、腕の立つ剣客が仕事を終えてすする一椀の味噌汁などというものに生の充実や庶民感覚を表現して、絶大な人気を得た。時代小説好きには「こたえられない…」シーンである。
この私も、年を重ねるごとに「食べることと、ねむることの幸福」の真意が分るようになってきて、近頃では「骨身に沁みる」状況までになった。
泥棒を追う鬼平がすする蕎麦や、梅安が人を殺したあと食う浅利の小鍋仕立てにその場の気配が満ちていて、しぜんと舌が反応するのだ。
経営者の方々にインタビューをしてラジオ番組にする20年間で会得した事柄は幾つかあるが、「その人の好きな食べものを尋ねたら、だいたいの人柄、性格、人となりが判明する。事と次第によっては経営センスまで露呈する。」
これが私の一番の収穫である。
とにかく、食に関心の薄い人に成功者はいない。食い意地が張っていて、朝起きたらすぐに、今日の昼は、夜は、何処で何を食べようかと目まぐるしく思案を巡らすぐらいの人でないと事業はうまく運ばない。
2千人程会ってきての統計だから我ながら、当っているはずだ。
「行きつけの店」を訊いてみるのも効果がある。
金持ちのくせに「高級店はニガテでね。B級の店がいいよ」とかはこの上ないイヤミであり、男としては人気がない典型だから無論のこと、業績はふるわず、女性票の獲得も難しい。
いや、なにも高価な食べ物が上等と申しているのではありませんよ。
要は、物語があるかどうか、なのだ。
五月の風薫る頃であれば、山のものなら何、海のものなら何が旨いから、旬を上手に採り入れてくれるあの店に行こう…とか。あるいは自ら台所に立ってこしらえるか。
日々の食の中に、季節感や歓びの記憶、会って話をして心地良い料理人の存在や自分を大切にしてくれる空間を保持しているかどうか。人間の魅力とは案外、そんな日常の積み重ねに表れてしまうのではあるまいか。
けして贅沢というのではなく、さり気なくも滋味にあふれる食べものを選びたいと望むゆえんである。
18世紀のフランスの美食家ブリア・サラヴァンのあまりにも有名な警句「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間であるかを言いあててみせよう」
現代にはおいてもなお生き続ける名句だと感嘆する。