滝悦子のエッセイ「洒洒落落(しゃしゃらくらく)」

必ずや立ち上る、と信じる

このたびの大震災で被災した方々を思うと心が痛む。この非常事態に何ができるのか。
私にできることは何でもすると胸に刻んでいるところだ。
この国難の中で、私は多くの知人たちと胸中を語り合ってきたが、なかでも海外からの声に揺り動かされた。
「大自然が与える残酷非道な経験を積み重ねて、日本人は強くなった。理解を超えた自然の力は、民族の運命であり、民族の生活の一部だという事実を、何世紀にもわたり日本人は受け入れてきた。今度のような悲劇や苦難を乗り越えて日本民族は生き続け、国を再建していくでしょう。」(産経新聞より)
こう述べるのはポーランドの映画監督アンジェイ・ワイダ。日本美術の強い影響を受けたと自ら認める。
いつ何時、危機に直面して自己の生き方を見直さざるをえなくなるか分からない、その事実を常に意識しているのが日本人であり、それにもかかわらず悲観主義に陥らないのは驚くべきことだ、とも賞賛する。
日本に生まれ育ってきた私たちには、それが当たり前と思われることが海外から見ると「素晴しいこと」特に日本の芸術は生きる喜びと楽観にあふれ、力強く、様式も完璧だ、と。
一条の光の射すのを見る思いで、有難度く受け止めた。
そこで関連して、日本人の美質といえば、私は何故か北国生まれの男友達が多く(籍に入れて頂いている男も長野県の豪雪地帯出身だから忍耐力が優れている)、彼らが申していたのには、「同じ東北でも太平洋沿岸部の人々は、粘り強いだけでなく、気持ちの切り替えがうまい。昔、津波がここまで来た、とか日常的に話しているうちにものごとに動じない気質になっていく。それに加えて『この海の向こうはアメリカ』と想像しながら育つから、視野が広く、大らかな人が多いんだ」と。
与えられた冷酷な環境を織り込み済みのものとして、懸命に黙って仕事をする粘り強い特質。なんという偉大な財産であろうか。
必ずや立ち上る、と信じる由縁である。
そして私は考える。
人間はなぜ生まれ、生き、そしてどこへ行くのか・・・。
誰にも答えを見いだせない根源的な問いかけをしてみたくなるのは、ひとり私だけではありますまい。