「料理は食いしんぼうの恋人を持つことに始まる」と喝破したのは桐島洋子で、今から35年前のベストセラー『聡明な女は料理がうまい』の中で縷縷(るる)語られている。
まことにそのとおりで、私の胸中では、「服を着こなすコツは?」と問われた漫画家の槇村さとるが「一にも二にもダイエット。とにかくスリムなボディをつくること」と答えたのと並ぶ、凝縮二大名言として認定している。
「料理がうまくなりたい」と一念発起するのは、確かに、好きなヒトができた時であるのは間違いがない。もちろん私も同様でした。
料理と語学の勉強は似ていて、基礎が大切なのは常識。恋人の存在が大きく影響するのも共通している。恋は全ての原点なのだ。
それはそれとして、私が今回述べたいのは「美味しいと他人からホメられたいのなら、とにかく回数多く作ったものを食べさせろ」という鉄則についてである。
たとえば「明日は大切なお客様がみえるから」といって難解な料理本をやおらひもといて、ウンウン言いながら首っぴきでマスターしようとし、一度も買ったことのない高級食材を仕入れてきて戦い(?)に臨む。
とゆーよーな愚行は止めたほうがいいと考える。
「初めて」は失敗の危険性があるからだ。
客が来るとなったら、今まで三百回くらい試してみて、作る者も食べさせられる家族ももう飽き飽きして見るのもイヤ、というくらい馴れに馴れた献立にするべきなのだ。
だって、客にとっては初めての味だから。
よく「おふくろの味」というが、アレはつまるところ何回も何回も作ったから上手になった、が正しい過程なのだ。
どんなに料理下手な母でも何かひとつくらいはマシなもんが出来、子は「またアレにして」と繰り返すために比較的食べれます、と。
ゆえに冒険は身内だけの日にすべきで、ハレの日には普段どうりが料理上手の第一歩なのだ。